世界は戦後最大の変化の時の中に・・・
自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。
本日のメニュー
・クジラの刺身 ・豆苗のおひたし ・胡麻豆腐のあんかけ

今日はちょっと特別感のある夕食です。それは、クジラがあるから!
捕鯨国日本がIWC(世界捕鯨協会)がら今年2019年7月1日に脱会してから約2ヶ月です。捕鯨業界とは関わりなく生活している私には、そのことによって何かが変わったのかかは実感としてありません。ただ、この脱会は1945年の第二次世界大戦の敗戦以降、今まで国際社会の中でなるべくリスクのある選択をしないよう行動してきた日本が変容していることの現れのようにも感じます。このことは韓国をホワイト国から除外した措置とも連動している。
この選択が後々私たちにどのような形で返ってくるかは今のところはまだわかりません。
世界の変容は日本だけではなく、トランプ大統領やドゥテルテ大統領に代表されるような世界のリーダーの質の変化とも無関係ではないでしょうし、このグローバル化の時代にある特定の地域、特定の部分が変わっただけということはありえない。
個人的には日本人の精神性はバブル期を境にして変容したと感じてきましたが、今、私たちは戦後以降それも凌駕するような大きな世界の変化のうねりの中にいるのだなということを感じます。
単なる晩ご飯ブログの中にゴリゴリの社会情勢論が展開するのは私自身戸惑いがあるので、ふんわりと所感提起に留めておきますが、そんな中でのクジラ肉の食卓登場です。
おいしく思えたうれしさと、捕鯨の文化

小学校の給食ではクジラの竜田揚げが出ていました。祖母の家ではよくクジラベーコンも食べました。クジラを食べるのはだから初めてではありませんが、自分でお肉を買って食べるのは初めてです。単純に買いやすい状況になかったからですが、今日は仕事帰りにイズミヤに寄ったところたまたまこのイワシクジラの赤身が結構お安い価格で出ていたのです。
幼少時の記憶以降、クジラを食べたのはおそらく25年と15年くらい前の二回ではないかと思います。一回は会社の先輩にはりはり鍋のおいしい店があると連れていったいただいたとき、二回めは京都の老舗居酒屋のメニューに一人用のはりはり鍋があったので頼んでみた時です。
一回目のお店は詳細は忘れましたが、おいしかったという印象が残っていますが、まだ会社に入って数年の小娘にはかなり高級な価格帯だったので、その後自力で行くという選択肢がなく、それきりに。二回めは手頃な価格ではありましたが、味が結構獣臭いというか生臭い感じで今ひとつだったので、続けてまた食べたいという気持ちにならずにそのまま記憶の奥に沈んでいったのでした。
今日はイズミヤの冷蔵ショーケースにクジラ肉のパックが並んでいるのを見た瞬間、幼少時からこれまでのクジラ肉体験と、IWC脱退後の日本の状況と日本の捕鯨文化についての記憶が何だか鮮やかに急浮上してきたので、これは食べてさらにクジラ肉について思いを馳せよとの天の啓示と受け取り、レジに向かいました。
クジラは哺乳類だし、なかなか肉質を見ても濃そうなので薬味はたっぷり用意した方が良さそうに思い、おろしニンニクと生姜、玉ねぎスライス、ネギを添えました。
ほぼデリートされているクジラ肉の味を約15年ぶりくらいにお刺身でいただくと、なかなかいけます。
食感は牛刺しとマグロの刺身の間といった感じで、筋もなく弾力のある歯ごたえ。見た目よりもあっさりしていますが後味にわずかにふんわりと魚よりは動物的な香りの後味がやってきます。味自体はそれほどクセもなく、食べやすいとも言えます。薬味をたっぷり乗せて口に含むと日本酒が恋しくなるような、そんな味わいです。
なんだ結構おいしいではないですか。というのが正直な感想です。感覚としては鹿刺しにも少し近いような気がします。
日本の文化が絶えることは淋しいという、やや感傷的な理由が心に入り込んでいるような気がしましたが、それでもこのイワシクジラのお肉をおいしいと感じられたことに、何となくホッとしました。
先日感傷的な理由で肉食を非難する姿勢には気乗りしないと書いたばかりなのに、自分は感傷的な理由で日本の捕鯨文化が途絶えることに反対なのかと思うと矛盾しているようにも感じますが、両者には根本的な部分での距離があるようにも感じます。
私は捕鯨そのものには賛成でも反対でもなく、捕鯨文化についてはそれが文化と言われるくらいに歴史のあるものならば、それが文化になるだけの理由があったはずだし、長い時間をかけて作り上げていったものを、気分で否定するのはちょっと傲慢な気がするのです。資源が枯渇するからという理由は理にかなっているし、文化とは人間のものだけれど、地球や世界は人間のものではないので、世界のバランスを人間が崩して決定的に損なってしまうのは人間の身勝手さと考えています。なので、絶滅や壊滅的な状態にならないようにしばらくその文化についてストップさせ、資源の回復を待つということには同意できますが、文化をストップさせる理由がかわいそうだとか、知能が高い動物だからという理由は合理性に欠けるので好ましくはない。
実のところ捕鯨は日本の文化とはいえ、全国的にクジラ肉が広まったのは戦後の食糧難の時代が契機のようです。それまではまず12世紀に手銛による漁が始まり、17世紀初頭に今でもクジラ漁といえば太地と言われるほど、捕鯨文化の中心として知られる和歌山の太地町で「鯨組」が組まれ、組織的な捕鯨が始まったそうです。この辺りについては日本捕鯨協会のホームページに略歴などが掲載されていますので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
不思議にやさしい副菜二品
またしてもこ難しい話をしてしまいました・・・
こんなこと考えながらクジラ肉を食べてもおいしくないよと思われる方もたくさんいらっしゃると思いますが、色々なことに思いを馳せるからこそ多角的に味わえることもあるのではないでしょうか。
味わいの友は豆苗のおひたしと、ごま豆腐のあんかけ。
クジラ肉の濃厚さに対して、あっさりと食べられる副菜にします。


豆苗は大豆の苗ですが、炒めてよし茹でてよしのクセのないあっさりシャキシャキの食感がうれしい野菜。安くて一度刈り取ったものにお水をあげるともう一度収穫できるという、さらにお得な特徴さえ持っている天使のような野菜ですね。今日はあっさりかつお節とすりごまにお醤油でいただきます。
胡麻豆腐のあんかけにはわさびよりもソフトな山わさびを添えました。お出汁とも良く合って、あたたかい胡麻豆腐のコクと溶け合って身体がよろこぶようです。
クジラ肉の濃厚さだけでなく、今のクジラ食の状況の難しさ(濃厚さ)とのバランスを取るために、無意識にこんなやさしい副菜にしたのかなと自分自身に問いかけてみたくなるような夕べでした。