自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。
「道」とは人生をかけて歩むもの
日本で「道」がつくものは色々ありますね。
武道、書道、華道、柔道、茶道、などなど。最近はまんが道などもありますが、日本に古くから根付いている文化には「道」がつくものが多いようです。
道とは何なのでしょう。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
と詠んだのは高村光太郎で、人生についての喜びと覚悟に満ちた素晴らしい詩ですね。
高村さんの「道」は、おのれの人生のことですが、文化も「道」を真剣に歩もうとすると、ほぼその人の人生と重なっていくようです。
初のお茶席準備集合は朝の7時半
2018年4月に茶道のお稽古に通い始めました。裏千家です。
茶道はもちろん何歳からでも始められますが、さすが「道」とつくとあって、いくつになっても終わるということがありません。私の先生は恐らく茶道を始められてから40年ほどかと思いますが、先生になられてからもなお、現在もお稽古に通われています。
茶道のお稽古についての手順やセオリー、お道具のことなどは私などが書かずとも、懇切丁寧なサイトが沢山ありますので、このサイトではたまたま縁あって茶道のお稽古を始めた超初心者が感じた面白さや気づきなどを雑記として綴りたいと思います。
今までカジュアルな茶店でお抹茶(お薄)をいただいたことはあるものの、本格的な茶道との出会いはお稽古を始める数ヶ月前のお正月過ぎ。ある人から「お茶席があるので手伝って欲しい。」と頼まれ、何も知らないど素人でも構わないとのことでしたので、気軽に請け合ったのが始まりでした。
が、続けて告げられた集合時間は朝の7時半。し、しちじはん?衝撃的でした。その人とは当時それほど親しいわけでもなく、親しくない仲で夜の7時半でなく、朝の7時半とは一般的な感覚としては、なかなかない時間ですよね。
しかし引き受けた以上は行かねばならないので、当日7時半前に行くと、すでに他のスタッフの方々は着物姿の方も含めて集合して忙しそうにうち働いておられました。
何も知らない私に渡されたのはジョウロ。草木に水を遣るあれです。何でもお茶席では、庭に水を撒いてお客様の草履が触れるところをくまなく濡らしておくことが、お客様を迎える準備ができたと知らせる合図なのだそうです。
さすがノンバーバル文化の茶道。そんな約束があるのねと思いつつ、露地と呼ばれるお客さまが茶室に入るまでのお庭にあらかた水を撒き終えて次の指示を仰ぐと、「雑巾で石を拭いて下さい。」。
石を雑巾で拭う?衝撃の「おもてなし」
露地には道のように石が配置されていて、お客さまはその石を渡られるということなのですが、その石を雑巾で拭く?なぜ?庭の石を拭くなどということを、今までの人生で1ミクロンも考えたことがなかった私には、あまりにも衝撃的な言葉でした。
何でも水を撒くと露地の飛び石のくぼみに水たまりができ、そのままお客さまが通ると草履や靴の水はねが起きてお着物の裾が汚れるので、それを防ぐためだとか。
再び衝撃!石を拭くという行為もすごいし、その理由が理にかなってはいるものの、ものすごく細かい気遣いすぎてめまいがしました。
あまりにも繊細な気遣い。これが「おもてなし」を追求する茶道というものなのか・・・!
まさにカルチャーショックともいうべき出来事でした。
しかし、この時まだ私は茶道の奥深すぎる道の入り口にも入っていなかったのです。