塩味でも醤油味でもない、第三のうまみ、味噌味のいくら

自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。

今回は割とグロテスクな写真や、人によっては抵抗を覚える表現があるかも知れません。特に「動物を食べるのはかわいそう」と考えておられる菜食主義の方にはおすすめしない内容ですので、ご注意ください。

皆さんは、もちろん「いくら」はご存知ですよね。

こちらの写真、普通のいくらに見えると思いますが、実はちょっと珍しい味付けになっています。

なんと味噌漬けなんです!

いくらといえば通常はお寿司のネタとしてポピュラーな塩味のもの。私は両親が北海道出身なので、彼の地の食材は割と色々食べていまして、いくらも塩味でなく醤油漬が定番でした。塩味は確かにお寿司のネタとして酢飯との相性はこの上なく最高ですが、白いご飯には断然醤油づけです。最近は関西でも醤油漬けが少し出回るようになりました。しかしながら、やはりいくら、高級です。

実家では祖母や叔母が自分で漬けてくれたものを、白ご飯の白い部分がちょっぴりしか見えなくなるくらい豪快にスプーンでかけて食べていましたが、売っている醤油漬けをそのようにして食べた日には、ご飯一杯分が2,000円くらいになってしまいそうです。

もちろん漬けていない生のいくら=筋子も高級ですが、既製品の値段とはかなり違うので、数年前からひとつ自分でも作ろうと奮起して、1シーズンに1、2回だけ筋子が割引になっていたら作ることにしています。

命をいただくという感謝と敬愛をいくらに想う

味付けされていない筋子はこんな姿です。

なかなかグロテスクといえばグロテスクですね。まさに鮭のお腹に入っているのだという雰囲気。この一粒一粒が将来鮭になるかもしれなかったというのに、ここで貴重な命が生まれる前に回収されてしまうという悲劇が存在しています。

だからこそ、食べるときは牛や豚などの哺乳類だけでなく、魚や魚卵も「命をいただいている」と時々は思い起こして感謝の念を忘れてはいけないなあと思います。

「残酷だから、かわいそうだから食べない」という論調が西洋諸国中心に多いですが、感傷的な立脚点は、結局視点を変えると選民思考というか命の尊さに上下をつける行為のような気がしてあまり気が進みません。

野菜は声も上げないし、顔もないけれど生きていることは確かです。

職場で庭の草引きをすることがあり、ゼニゴケを剥がしたり雑草を抜いたりしています。文字にするとただそれだけの行為ですが、土に向かってピンセットを持って黙々と作業している中で思うことが色々あります。私たちは雑草だからとぶちぶち抜いていくのですが、植物にとっては自分が雑草だとか、スギゴケだから貴重とかいう意識はなく、ただ芽吹いて成長してまた子孫を残すために花をつけたりしているだけなのに、人間の勝手な美意識でこれはいるとか邪魔とか決められているわけです。

こんなに小さい草も可愛らしい花を一生懸命つけてるのに、抜かないといけないのです。

美しく整えられた庭というのが、どれだけの植物の犠牲の上に成り立っているのか考えずにいられない瞬間です。

食べるという行為も同じ、どんな食材を使うとしても何がしかの命をいただくことで成り立っていると思うので、「知能が高いから残酷」とかそんな理由ではなく、自分のために何かが犠牲になっているということを、毎日は無理でもたまには思い起こして、その恵みに感謝するという時間があっても良いのではないでしょうか。

まさに「有り難い」貴重な珍味!

少々説教じみてしまいましたが、食べ物をおいしくいただく、そう「いただいている」感覚ってなかなか貴重で大切なもの。

そんなことを考えながら温めた塩水で生の筋子をほぐして洗っていきます。

お湯につけるとタンパク質が固まってこんな風に白くなるのですが、また温度が下がって漬けだれを入れると透明に戻ります。不思議。

さっきのパックの写真に漬けだれもついていましたが、出来合いのはだいたいアミノ酸とかのうまみや甘みが過剰に入っていて私には甘すぎるので、お醤油と味醂、お酒でシンプルに味付けしますが、今回はネットのレシピで味噌漬けというやり方を拾ったので、そちらに挑戦。

西京味噌で味噌床を作ってキッチンペーパーを置き、ほぐして洗った筋子を置いて、またキッチンペーパーで覆って味噌床でサンドして待つこと数日。見た目的には塩漬けとあまり変わらないようないくらの完成です。

でも口に含むとやっぱり味噌漬けは違う!西京味噌なのでやわらかな塩味にほんのりとした甘さ、味噌の発酵したわずかにアルコールを感じさせるようなふわっと軽い酩酊感を覚えるような奥行きのある味わいです。これはなんというおいしさなのでしょうか。お酒のアテにはもちろん最高ですが、白ご飯にも酢飯にもとろけるマッチング。

難点といえば味噌漬け全般がそうなので仕方ありませんが、塩分の浸透圧の関係で魚卵の水分がかなり出てしまうので、粒がぎゅっと凝縮されてかなり小さくなってしまいます。

確かにもともと高価ないくらが味噌漬けになるとさらに量も減って価格がとんでもないことになりそうなので、売られていないのかも知れません。ということは、この深い豊かな風味を楽しめるのは自宅での手作りしたものの特権。あ、ありがたい。まさに有ることが難しい、有り難い珍味といえそうです。

今年はもう作らないかも知れませんんが、年に一度のお楽しみとしてレパートリーに加えたい贅沢な一品であります。