自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。
AERAインタビューから心待ちにしていたアルバムが発売!
サカナクションの6年ぶりのアルバム「834.194」を買いました。

特別彼らのファンという訳でなく、時々MTVなどで流れるシングルを聴いたり観たりして丁寧でクレバーな音楽に好意は持っていましたが、今までそこまで深聴きすることもありませんでした。それが、2ヶ月ほど前に眼科の待合室でたまたま読んだAERAの山口一郎さんのインタビューがとてもよく、今回のアルバムに対しての想いの強さがストレートに響いてきて以来、必ずアルバムは買って聴こうと楽しみにしていたのです。
大体日本のアーティストで、サカナクションくらいの中堅バンドがシングルは適宜発表しているにしても、6年間もアルバムを出さないというのはなかなかないことですよね。
満を待して発表した作品は、エバーグリーンになることを予感させる名盤でした。
シティポップの正統な継承者
最初の「忘れられないの」「マッチとピーナッツ」の2曲を聴いて、まず思ったことは「サカナクションはシティポップの正統派の後継者なのだなあ。」ということ。
シティポップというのは割と近年の呼び方で、40代後半から50代の人たちに馴染みのあるのはニューミュージックの方でしょうか。
山下達郎や大貫妙子、荒井由実=松任谷由実、小田和正や竹内まりや、大瀧詠一などなど。
社会的メッセージというよりも、自己の内省的な情景を独特の言葉で表した歌詞、少しメロウでメランコリックな印象も受ける、力強すぎずエレクトリックさを含んだ軽さのある音。
山口さんの少し喉を絞ったようなヴォーカルスタイルも、どこかUKロック&ポップスにつながる乾いたソリッドな感じで、重苦しさを感じさせない要因のように思います。
悲しさのある曲も恨み節ではなく、決して暗くならず、透明感のあるノスタルジーに昇華していく、まさにこれぞポップス。
どの曲をとっても「ポップであること」に拘っていることが強く感じられます。
正直、山口さんの顔立ちというか表情というか佇まいはあまりポップではなく、むしろ神経質そうに見えるのですが、そこからこの音が生まれてきているというのは、逆にポップスに対して真剣に向き合っているからこその居住まいとも考えられますね。
レイ・ハラカミ、くるり、≒京都?
山口さんが2011年に夭折したレイ・ハラカミさんをリスペクトしていることはつとに知られているようですが、今回のアルバムを聴いて共通項を感じたアーティストがもう一組いました。
くるり、です。
シングルだけを聴いていると、サカナクションとくるりが似ているなんて考えたこともなかったのですが、今回のアルバム後半になるほどに共通した空気を感じました。
似ているとか、親和性と言っても真似をしているとかそういうことでは全くなく、カテゴライズするならば同じグループかなということなのですが。
レイ・ハラカミさんとくるりに共通するのは共に京都をフィールドとしているということに不思議な記号があります。
サカナクションは今の所少なくとも京都に拠点を置いたことはありませんが、三者に共通するのは声高でないけれどしなやかに強い音であること、静かに確信を持ちながら探究し、閉鎖的ではないけれど孤高を恐れていないような姿勢、といったところでしょうか。
半世紀ほど京都に関わり続けてきた私が感じる京都の良いところとも共通していて、何だか少し面白いです。実は山口さんは京都が好きだったりもするとさらに面白いですが、これは単に私の想像と妄想です。
稀少な「アルバム派」
このアルバムに特徴的なことの中に、「アルバムを意識したアルバム」ということも挙げられるかなと思います。
少しサカナクションの今回のアルバムとは直接関連しないことを話すことになりますが、今回の「834.194」を考えるときに重要な要素ではないかと思うので、我慢して読んでもられると嬉しいです。
ipod、itunesが登場して以降、音楽の聴き方は激変しました。
それまではCD、レコードといったレコード会社からパッケージングされた40分程度にまとまったアーティスト、あるいはレコード会社の編集による特定の曲順で聴くということが基本的だったことが、ipod登場とともに「シャッフル」という方法が主流になっていきました。
それはまったくランダムに次々と曲が再生されるということ。
元々アルバムというのはアーティストがかなりこだわりを持ってひとつのコンセプトを持って曲順を考え、曲順を構築するものでした。流れによっては制作当初は収録したいと考えていた曲を、流れに沿わないという理由で割愛して発売するということもしばしばありました。
いわゆるアーティスト側からの提示に聴き手側が従うという構図です。
それがシャッフル再生というある曲の前後にどの曲が再生するかわからない聴き方が一般的になり、さらにアルバムであっても一曲ずつの購入が可能になることで、アルバムよりもシングル売りが主流になるという、アーティスト側のコンセプトはほぼ完全に解体される状況になりました。
現在も一応アルバム売り自体は多く存在していますが、アーティストは徐々に以前よりもアルバムとしての曲順を意識した音楽づくりをせず、シャッフルや一曲買いを前提とした作り方をすることが多くなったように感じます。
そのため、アルバムと銘打ってパッケージ販売はしているものの、実際にはアルバムを通して聴くと疲れてしまうので、全曲通して聴くことができないことがが私自身は増えました。
「834.194」に戻ると、このアルバムはシャッフル聴きは前提としつつも、やはりアルバムとして聴くことを前提としたものになっていると感じました。
2枚組全18曲という大作です。通しで聴くと90分はかかってしまいますが、全曲聴いても疲れません。一曲一曲を注意深く聴くと、それぞれの構成や音作りはとても丁寧で、かなり凝ったものになっていることがわかります。90年代くらいまでのアルバムというと、その中に一曲や二曲は少なくともちょっと中休み的に感じる抜け感のある曲が含まれているものでしたが、「834.194」に収録された曲はランダムに取り上げても、相当緻密に作り上げられたものばかりです。
これくらい凝っていると普通はコテコテのクリームたっぷりフルコースメニューのように、途中でお腹というより胸焼けがしてきそうになりそうなものですが、このアルバムにはそれがない。
これは制作段階において、相当な注意深さでアルバムとして成立するよう練られたのだと感じます。
itunesに入れてもDisk 1とDisk 2に分かれて、それぞれのDiskの最後の曲がバージョン違いの「セプテンバー」であるということも強いコンセプトの存在を感じます。
AERAのインタビューで、山口さんは今の音楽的状況でアルバムを出すことの意味を相当考えて制作を行ったと語っていました。
切り売りされ、制作側でなく聴き手側、いやシャッフルというどちら側も優先でない音楽のあり方が主流となった中で、あくまでもアルバムというまとまりでアーティストとしての意思と存在を静かに強く感じさせ、なおかつ暑苦しさを感じさせず、あくまでもポップであることにこだわる音楽。それが6年かかって出したサカナクションの答えなのだと噛み締めながら、繰り返し聴いています。