まるで戒厳令下?

くりたです。
基本は時事ネタは積極的に書かない方針なのですが、今週は特別だったので少しだけ。
強制力のない戒厳令下のような心理がまわりの人たちの間で広がっています。
新型コロナウイルス対策で、三日前から政府主導で次々と延期・中止されるイベント。ついには全国の小中高を3月2日から休校として春休み期間に突入するよう要請。仕事を休めない子育て世代はじめ、さまざまな人々の戸惑いと不満と諦めと。
世界は本当に一瞬で変化するのだということを思い知ります。
一週間前は街中にマスク姿の人は例年よりは多いことと、外国人観光客の姿が少なくなった以外は普段と変わらない生活だったのに。
私を含めて友人知人の心理も変化していて、不要不急の外出以外は控えた方が良いと考えている人が増えています。
日本のパスポートが不利にはたらく日が来るなんて
新型コロナウイルス対策云々について書くことにはあまり興味はありません。
今や全世界のニュースで連日さまざまな報道がなされてある程度知ることはできるけれど、所詮は末端なので情報力に限界もある。
それよりも注目しているのは、この数週間での世界の縮小っぷりです。
今や数十カ国が半鎖国状態。
はっきりと入国禁止とはしていなくても、感染地域からの入国制限をしている国は日々増えていますし、入国させたとしても14日間隔離の上、検査で陰性と診断されなければ入国できないって、事実上の入国禁止措置に近いですよねえ。熱があれば到着時即帰国勧告ですし。
私がパスポートを入手してから四半世紀以上経ちますが、世界で最も万能度の高かった日本国のパスポートが不利に働く日が来ようとは、正直なところ1ヶ月前は想像もつきませんでした。
80年代から登場した格安航空券、2000年代にどんどん台頭してきたLCCなどで、この5年ほどは特に日本人なら誰でも国内旅行と同じように、場合によっては国内旅行よりも安価で手軽に海外旅行ができる状態になりました。
でも一方で個人的にはLCCが隆盛してきた5年ほど前から、漠とした不安要素については考えていました。
今は地球の裏側のものまでが手軽に手に入る人類史上一番世間一般の感覚で世界が近くなっている時代だけれど、多分今が最高に個人にとって世界の距離感がない時代で、こんな期間が永遠には続かないだろうなと。けれども、こういう形で突然の変化がくるとはまさに青天の霹靂です。
もちろん新型肺炎ショック自体は一時的なもので、ワクチンが開発されたりして対処法が安定して供給できるようになれば、世界は落ち着きを取り戻して、またグローバルネットワークも回復していくでしょう。
でも起こってしまったことはなかったことにはできない。
表面上は以前と同じような世界が戻ってくるとしても、何かが根本的に変わってしまうのではないかという気持ちが拭えません。
水面にほんの小さな小石を投げ入れても、波紋が広がっていくように。
フリーズしない脳を育てる
世界は完全にインターネットを通じて強固なグローバルネットワークが構築されているのだから、今さら後戻りはできないし、するわけもないと考える人が多分世の中の大半だと思います。
私たちは今、確かに未曾有のグローバルネットワークの中で生活をしているし、このネットワーク自体が完全に潰えてしまうことはないかもしれません。
でもそのネットワークはただひとつのエネルギーに依拠している。電気。
電気がある日完全に失われたらと、時々考えます。
そんなことは起きないと多くの人は言うかもしれません。
でもこの日本でも昨年台風15号で千葉県は簡単に一週間以上停電になってしまったし、今回も一月のうちにあれよあれよと日本のパスポートでの入国制限をする国が増えました。
一時的だと思っていたことが、恒久的なものに変化しないなんていう保証は誰にもできはしないのだと思います。
リスクは常に自分の予想を超えるところに存在しているけれど、予想外のリスクそのものに備えることはできないならば、どうすれば良いのでしょう。
先日観た映画「パラサイト 半地下の家族」の後半で、主人公一家の父親が困難なトラブルに見舞われたとき、子供たちに今後の計画を訊かれて、「計画を立てればそれが崩壊したときのリスクが生じる。リスクを追わないための唯一の方法は無計画だ。」と言うようなことを言っていました。
含蓄のある台詞だなと思いました。
ただそれは単に何も考えない無計画ではなく、何かが起こったときに臨機応変に頭が身体が反応できる状態に置いておかなければ、物事に対してただでくの坊のように立ちすくむしかありません。
自分のせいじゃないのに、なぜこんな目に遭うのか、〇〇がこうしたから、こう言ったからと他人のせいにしたところで問題はちっとも解決しない。
何かが起こったときにフリーズしないための思考力が必要だな、と思います。人任せではない判断力というか。
思考力も判断力も一朝一夕で身につくものでもないので、普段から多角的に情報を集めて考えるという訓練をしておかなくてはならないんですよね。
ちょうど先日ジャーナリストの清水潔さんが書かれた調査報道についての「騙されてたまるか 調査報道の裏側」(新潮新書)を読んだ時も思いましたが、公式の見解やニュースであっても一方通行からの情報はあまり鵜呑みにしない方が良いなと。
人間はどうしても思考に偏重や偏見があるものだし、ニュースで伝えられたり、親しい間柄の人から聞いたりすると、それが真実だと信じてしまいがちですが、角度を変えてみると全然違っていることもあります。
世界が一変するような出来事が起こったときも、実は本当は突発的に起きたことではなくて、あとで振り返るとなるほどと思うことも多いと思います。
今回のコロナにしても、これだけ世界中に蔓延することもグローバル社会の中では止めようがないことだったかもしれない。中国や日本の対策が悪かったと言うのは簡単ですが、同じことが自分たちに起こったときに、果たして違う行動が取れていたかどうかということもわからない。すでに起きたことを後から批判するのはいつでも易しい。
世界も状況も何かのきっかけで急展開する可能性はいつでも存在している。
そのことを念頭におきながら、自分はどう毎日を過ごしていくのかということを問いながら、独りよがりではない思考を磨いておかなければいけないと、特に実感する今年です。