自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。

山が萌え萌えしている。

ゴールデンウィークも終わりです。

みなさんどこかへ出かけられたでしょうか。

街へ?海へ?海外へ?

私は東京にちらりと出かけましたが、旅好きの多い友人たちは様々な場所に出かけていたようですが、何となく山の方に行っていた人が多かったです。

それは京都だったり、東北だったり、バスクだったり。

日本の五月の山というと新緑ですね。

みなさんは新緑の山はお好きでしょうか。

緑萌え出ずる山。

私は実はちょっと苦手です。

だって、それは山が「萌え萌え」しすぎているから。

新緑は好きです。いかにも「今伸びてきたばかりですよ」と言わんばかりのつやつやとした黄緑色の葉を見ると、その瑞々しさに何とやわらかそうで、ぴちぴちして可愛らしいんだろうととろけるような気持ちになります。

でもそれをうんとズームアウトして、葉が枝になり木になり山になった様子を見ると、何だか息苦しくて胸の奥がざわざわします。

これから生命を燃やしていくぞ!という生命力の溢れかえった状態に圧倒されるんですね。

あふれ過ぎた生命力はヲタクの情熱とほぼ同じ

ヲタク用語で今はヲタク以外の人たちも比較的日常的に使うようになった「萌え」という表現があります。

これは解説するまでもないかなと思いつつ解説すると、ヲタクの人たちが自分の「推し(好きなアイドルやキャラクターなどの対象)」に対して愛情MAXで高ぶった時の状態を指す言葉で、同じキャラクターが好きなヲタク同士で「推し」の可愛かったりかっこよかったりする絵や写真を見たときに「萌え〜」とか、「萌えるよね!」などと使っています。

この表現をはじめに使い出したのがどういう人達なのかはわかりませんが、この今の新緑の時期の山を見ると、本当にうまい表現を思いつかはったもんやなーと、つくづく感心します。

ヲタクが「萌え」ているときは、まさしく「推し」への愛情が身悶えしそうなくらい膨らんで、生きる活力が漲って吹き出しそうでたまらない!!という状態なのですから。

一人だけがそういう状況に陥っていても、恋愛初期の好きな人のことを好きで好きで仕方がない状態とほぼ同じなので、周りは少しばかり呆れつつも微笑ましく見守ってくれるでしょう。

でもそれが5人、10人、いえ幕張メッセのイベントホールいっぱいに集合して膨れ上がったとき、一緒に盛り上がっていない者は、ただただ彼らの熱すぎる思いを受け止めきれず、とめどなく溢れる命がけとも言える熱心さに圧倒され、その場にいるのがいたたまれないような、お尻か胸がむずむずするような気持ちになることもあるでしょう。

人は自分の理解を超えた「過ぎている」状況に対面すると、どうして良いかわからずにフリーズしたり、逃げ出したい気持ちになったりするものです。

新緑の山が生命力に溢れ「過ぎている」と感じる時、胸に沸き起こるむずむず感とよく似ています。

最初に「萌え〜」と言い出したヲタクは新緑の山の命溢れるさまを、己の「推し」の神々しいまでの輝く姿をみることで、寿命が伸びるほどの滾る想いとの共通点に、きっと強いシンパシーを感じたのに違いありません。

山の「萌え」とヲタクの「萌え」。

それは命のほとばしり。ある種の生命賛歌として深いところでつながっている。