自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。

作風の変化にびっくり。色が溢れる空間

知人の根之木正明さんが数年ぶりに展覧会を開かれると聞き、楽しみにしていましたが、会場に足を運んでびっくり。そこには白いキャンバスに色が溢れていました。

根之木正明 個展
日時:2019年7月2日(火)~7月28日(日) 月曜休廊
会場:ギャラリーなかむら(京都)

彼の作品はかれこれ20年ほど前から観ていましたが、どれもモノトーンではないものの、明らかに茶色や黒を中心とした色調で、どーんとした重厚な作風でした。

黒で下塗りをして、それが四方の枠に垂れて固まり、ほぼ半立体になったようなキャンバス。ぼんやりと暗い空間から浮かび上がったような十字だったり、球体っぽいものであったり特別これといってなのある物体ではなさそうな、けれど何か具体的な形があるようなものが描かれている。何が描かれているのかわからないけれど、何かが描かれている。これは何だろうと考えさせる画面。平面作品ではあるけれど異常に奥行きを感じさせる絵が、何かわからないものをわからせようとして画面の奥にあるものを見ようとしていつまでも見つめさせてしまう。そこに浮かび上がるのは作家の心の奥に暗く沈殿した塊か、それとも何かであって欲しいと無意識に意味と形を与えたがる観る側の欲望なのか。

ということを延々と思わせてしまうような作品だったのです。

それが今回はどうでしょう。この白くて明るい作品の数々。大体下地が黒でなく真っ白。

カラフルといっても真っ白をベースに様々な色が乗せられて決してうるさくない。描かれている形は十字や円などの以前の暗い作風の時と共通しているのに、まるで印象が違います。

画材はアクリル絵の具か水彩色鉛筆とのことで、描画方法としては以前と同じように塗って拭き取ったり水を加えたりして、乾かして塗って、また塗って・・・と根気よく色を重ねていくそう。根之木作品が平面であってもいつも半立体のようで、つるりとメディウムの塗られた表面の奥にどこまでも続く奥行きを感じてしまうのは独特の制作方法のせいなのかもしれません。

半覚醒とノスタルジアで充たされる静謐な空間

写真がうまく撮れていなくて悔しいのですが、この作品などは見えている空間以上に三次元的で、こんなに色が溢れているのに散漫な印象がなく、画面の奥からまるでサイダーのような泡と色がまさに弾けて現れてきたというようなしゅわしゅわ感に溢れています。どこか私のような世代には昭和的なノスタルジーと子供の頃の憧憬も思い起こさせる。しかもこんなに明るいのにポップではなく、なんだか落ち着いていて静謐な印象すらあります。

一緒に展覧会を観ていたグラフィックデザイナーである友人は、しきりにこの色彩の洪水に見えてまとまりを失わないバランス感覚に感銘を受けて、いたくこの作品が気に入ったようです。いつまでも観たくなる、と思うのは私も同じで、すでに完成している作品だとわかりつつも、見つめているキャンバスの奥深くから新しい色彩が生まれてくるような期待感と、逆に今描かれているものが弾けてどこかへ消えていきそうな儚さが複雑に入り混じって、心地よい混乱をもたらしてくれます。

会場では大きくは壁面ごとに技法や雰囲気がまとまったものが展示されていましたが、不思議な奥行き感とノスタルジックな儚さ、どこか目覚めていないようなゆらぎは会場すべてに静かに充満しています。

上の作品に描かれた球体のようなものは触れれば質感まで指先に感じそうな、ヴェルベットというよりは天鵞絨、別珍と表現したくなるようなもけもけ感。天鵞絨や別珍は昭和世代に少女時代を過ごした者には、現実であって現実でないおとぎ話のお城やお姫様のイメージと完全に重なり、それだけで夢見心地な郷愁へと誘われてしまうのです。

違うけれど違わない、変わっても変わらない

重厚で金属を思わせるようなそれまでの作品からのあまりの振り幅に最初は本当に驚かされましたが、観ていくうちに使う色彩は変わっても、やはりどんな表現、どんな画材を使ってもやはり根底にある芯は変わらず、これは同じ作家の作品だと理解できるようになります。

毎回作風を変えるようなスタイルではなく、変化はとても大きいのですが、変わっていないと思える不思議。

こういうことって作家さんにとっては非常に大切ではないでしょうか。なぜならそこに揺るぎない作家としての土台があるということですから。

美術には限りません。小説家でも映画監督でも漫画家でも。優れた作家にはその人の作風というものがあり、偉大な作家ほど正直なところ「よく毎回毎回同じことを飽きもせずに視点を変えて展開できることだなあ。」と思うことがあるのですが、それこそがその人を作家として鑑賞者や読者に信頼される所以ではないかと思います。

作家に限らず人間には喜怒哀楽があり、様々な顔を誰もが持っています。喜んだ時と悲しんだ時で全く違うと言うことがあっても、実際は私たちはその人を同じ人の違う面としてしっかり認識していて、同じ顔の違う人間だと思うことはありません。

優れた作家さんというものは、複数の作品を作ることでそのことを昇華して可視化し、私たちに目に見えるものとして表現してくれている。

私たちが作品として観ているものは、ただの物体や画像や映像、文字ではなく、人間というものの多面性と複層性でもあるのだなあと感じさせてくれる展覧会でした。

次に根之木さんの展覧会を観られるのはいつなのか。その時に見せてくれるものは今回のような明るい画面なのか、それとも以前の重厚なものなのか。

想像のオプションが増えて楽しい気分になってきます。