自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。
今日も手抜き。でもおいしい。
今日はちょっと日々のごはんとともに考えたことを少々・・・
本日のメニュー
・出来合いのコロッケ、ブルドックウスターソース、水菜添え ・揚げじゃがとベーコンのチーズ添え ・ほうれん草と舞茸のソテー

最近ごはんを簡略化しがちです。
料理をするのも食べるのもとっても好きなんですが、時々ショートカットめしになることがあります。
現実的に時間がなかったり、気分が乗らなかったりと原因はさまざまですが、相田みつをではないけれど、人間だもの。時々さぼったり、一生懸命やったり、それで良いと思うのです。
近年インスタやSNSでアップされる華やかな写真を観て、逆に「自分にはそんな写真を次々にあげる生活はできない。みんなは輝いているのに自分はそうではない。」と自信をなくしてしまう人も少なからず存在するというニュースを耳にしました。
また、アメブロで毎日のおしゃれな食事を通じて料理本を出版し、素敵な旦那様と憧れの生活を送っていると人気のブロガーさんが、読者から求められる「幸せな家庭」像を無意識に演じようとして、実はある時からご主人の病気で辛い状況にあったことをごまかしているうちに、精神的に追い詰められたという記事もありました。
法的には個人情報保護法が強化される一方で、世界中の個人が私も含めて自分たちの生活をかつてないほど多くの人々に公開する時代です。
現れていることが存在する全てではない

「人に良く思われたい。」「自分には何か素晴らしいものがあると、誰かに言ってもらいたい。」という自己承認欲が肥大していると感じます。
誰しも人から必要とされたり、愛されたいと願うことは自然なことですが、ちょっと過剰すぎやしないかと恐ろしくなる瞬間がしばしばあります。
インスタやSNSの利点はいろいろあるけれど、やはり冷静に考えればそこに現れているのは生活の一部であって、すべてではないと思います。職業的なインスタグラマーやブロガー、ユーチューバーの皆さんも、多くを見せているように感じてもそこで公開されているのは彼らの生活のごく一部に過ぎない。華やかな映像や画像、語り口では語られない彼ら自身の人生があります。
生活は本来地味なもの。生きていくためのものであって、人に公開することを目的としたものではない。
けれどもSNSの広まりで、みんながこぞってプライベートを公開する(している風)ことによって、見えているものがすべてだと思い込んでしまうようになっているのではないでしょうか。
華やかに見えているほとんどのインフルエンサーの皆さんも、実は見えないところでは家族との確執や病気、友人との関係、経済的な問題や自分の性格などで悩んでいることも多いはず。
でもそんなことは他人に公開してもウケないと思うから言わない人がほとんどだと思います。
そう思って少し引いてインターネットの世界を見渡すと、個人が特定されている場合は華やかな出来事が多いですが、教えてgoo.や匿名性の高い掲示板などでは人に言えない悩みや罵詈雑言、誹謗中傷で溢れていることは多くの人もわかっていますよね。
情報が津波のように押し寄せる時代になって、見えているものに目が奪われがちですが、あくまでも見えているのは本当に一部です。人間の視野は狭いし、個人の情報処理能力もしれている。いくら誰かが自分のすべてをネットに公開しようとしても、現実的には心の微細な動きまでは不可能です。
見えているものの方が見えていないことよりもずっと少ない。
好きなことを無理せず、一生懸命に付き合いたい

私たちは私たちの人生を自分と向き合いながら真面目に生きれば良いだけで、SNSで「いいね」をもらうために生きるよりも、ちょっとした身の回りのことで喜びを見つけられたらそれで良い。
私のこのブログもほぼ限られた人しか訪問がないわけで、そんな中でもコツコツあげ続けるのは自分に対しての備忘録であり、その備忘録がもしも他の人に何かの参考や心動く何かになればうれしいな、くらいの気持ちでいるからです。
だからこんな最初に公開した出来合いコロッケとごくごく簡単なメニューのごはんなんて、取り立てて自慢することではない。ごはんの支度が面倒で出来合いのコロッケを買ったりするけど、そんな中でも食事は楽しいしおいしいと思う喜びはある、と思います。
私は単に自分でごはんを作るのが好きだから色々つくるけれども、別に自分以外の人がごはんの支度が面倒で外食ばかりでも、出来合いのお惣菜ばかり食べていてもいいじゃないのと思う。私はそれはしないけど、したくないからしないだけで、ごはんを毎日作って食べていることはただ食べたいだけ、作りたいだけです。まあ、毎日コンビニ弁当とかカップ麺という食生活はちょっと身体が心配になりますけど。
ごはんを自炊しない人は、私よりも掃除がマメで部屋がきれいかもしれないし、ものすごく野球に詳しかったりするのかもしれない。それぞれ好きなことだから探究心も湧くし、飽きないし、一生懸命調べたり試したりして何かを頑張っていればそれが幸せ。
頑張ることは無理をすることではないと知り、適度に好きなものや苦手なものに近づいたり遠ざかったりしながら、私も他の人たちも、楽しく踏ん張っていければと願います。