ベストセラー本は社会の縮図
くりたです。
最近韓国で出版された本で日本でも話題になっているものが結構ありますね。
『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国で社会現象とまで言われたフェミニズム小説。
『反日種族主義』は、韓国の頑なな日本への態度について韓国人の立場から様々な一次資料から検証したノンフィクションとして破格の11万部を超えるベストセラー。
そして今日紹介する『あやうく一生懸命生きるところだった』は2018年から2019年にかけて各書店ランキング上位にランキングしたエッセイ。
この3冊の概要をみると、どの本も現状の韓国社会の問題に関わっていますね。
翻訳本というのは、翻訳本を出版する国の需要とも関係があるので、一概に元の国の状況をストレートに反映されたものとは言い難いのですが、いずれの本もこの数年のうちに韓国でベストセラーになった本ですから、こうした本が受け入れられているというところを考えると、韓国では現代韓国社会に対しての疑問や不満、不安が多いことが透けて見えます。
もちろん日本もですけれどね。
出版不況と言われて久しいですが、やはり本屋の平積みは現代社会の縮図なので、今の社会の動きと雰囲気が主観とは違う視点で感じ取れます。
楽しんでいるつもりでも、澱はたまっていく
『あやうく一生懸命生きるところだった』は、40歳を前に自主的に企業生活からドロップアウトした著者が、それまでの自分の人生と現在の生活をウィットに富んだ著者自身のイラストと共に俯瞰したエッセイで、ゆるい啓蒙本にもなっています。
あやうく一生懸命生きるところだった ハ ワン 文・イラスト 岡崎 暢子 訳 ダイヤモンド社
「頑張って!」(ハイハイ、いつも頑張っていますよ)
「ベストを尽くせ!」(すでにベストなんですが……)
「我慢しろ!」(ずっと我慢してきましたけど……)
と、40年近く言われ続け、言われるがままに我慢しながらベストを尽くし、一生懸命頑張ることが真理だと疑わずに生きてきた著者が、ある日、「今日から必死に生きないようにしよう、と。」決意したところからエッセイは始まります。
語り口がライトなイラストと相まって軽妙でとても読みやすく、著者の今までの辛い経験や思いも息苦しく感じることはありませんが、やはり韓国は相当激烈な競争社会なのだなあと感じました。でももちろん日本の社会に通じるところも多くあって、皆それぞれ本当に大変だよねとも思います。
私はちょっとこの著者と境遇が似ていて、今は無職ですが大学卒業以来四半世紀以上かなりハードに働いてきました。働いていた職場はどこも休暇を取りやすかったので、おそらく著者よりは恵まれていたと思いますが、仕事に行く日は大体平均で12時間くらい職場にいましたし、一番ひどい時は休みが20日間くらいないという場合もありました。
働くこと自体は好きだし、仕事の内容についてもそれぞれ面白味があって楽しんできましたが、長時間会社で働くということは、知らず知らずのうちにストレスがかかるものだったなと思います。
働いている時は楽しんで仕事をしつつも、いつも国外に出たくてたまらなかった。「おいしいものを食べにベトナムに行きたい。」「パリで浴びるように美術館に行きたい。ダンスやバレエを観たい。」という動機はありつつも、いつも「ここではないどこか」というのが一番強烈な欲求でした。
ちょっと週末含めて3、4日休めるとなると東アジアや東南アジア、一週間ほどの休暇ならば遠くはモロッコ、ヨーロッパと、旅行が趣味ではない友人からは呆れられるほどでしたが、まだまだ足りないという思いが拭えませんでした。
今は晴れて無職の身なので、お金のことさえ気にしなければどこにでもどれだけでも行けることになり、どこが良いかなあと思いは巡らせるけれども、働いていた時のようなどこかにいかなければならないという切迫感がまったくなくて、私は本当に旅行が好きなのかなあと思ってしまうほど、のんびり構えるようになりました。
まあ、2020年3月現在は海外は日本からの渡航制限を行っているところが多いので、現実的にはいけないのですが。
人生をある程度歩んだ人に送るメッセージ
語り口が柔らかいながら、割と若い人には酷なこともたくさん書かれています。
それらはある程度の長さを生きていると多くの人が実感することなのですが、これをティーンエイジャーが読むとどう感じるのかなと少し思います。
楽になる人は少なからずいると同時に、あまりうまく理解できなかったり、反感を持ったり、筆者を負け犬だとばかにしたりする事もあるかも知れません。
おそらくこの本は、若い人に向けたのではなくて、ある程度社会に出て自分の人生がうまくいかないと悩んでいる人をターゲットにしているのでしょう。
多分、そうした人たちにこのエッセイはとても深く届く。もしも読む人がとても疲れていれば、より深く。
このブログを訪れてくれる奇特な方は、それなりに人生を長く歩んできた人々ではないかと思うので、そういう人たちには頷けることがたくさんあるはず。
私にもとてもよく理解できたし、共感する部分も結構たくさんありました。
最終的に「人生を楽しもう」というメッセージもとても素敵だし、ぜひ筆者には嫌味なしにこれからも幸せな時間を過ごして欲しいと思いますが、同時に筆者と私はやっぱり別の人間なのだなと当たり前のことに気づかされます。
おおむね似ていたとしても、私と筆者の人生へのスタンスは違うし、それぞれの人生、それぞれの考え方がある。
かと言って違うことに腹立たしいと思うこともなく、「こういう局面でこの人はこんなことを考えるんだなあ。」くらいの軽いすれ違い感がそこにはありますが、はっきり言ってそんなことはこれからの私の人生には特別重要なことではない。
私はこの本を楽しんで、ふっとすっきりした気持ちになって、誰かにこのことを伝えたくなる。
あれ、あれ。この感覚って結局筆者のいうところの人生を楽しむための姿勢の一つではない?
