現在、新作旧作交えてひと月に20本以上の映画を観て過ごしています。
こんなに大量の映画を観ているのは人生初めてで、自分でもよくこんなに観られるものだなと思います。
しかし一旦生活のリズムに組み込まれてしまうと、それほど苦痛でもなく大量に観られるということを発見しました。
こんなに大量に観ると、どの映画がどんな内容だったか覚えていられなかったり、混乱したりするのではと言われる方もおられますが、今のところはそういうこともありません。
ただ、印象に残るかそうでないかのふるいがかなり細かくなり、私の中での作品評価の明暗がくっきりとわかりやすくなった気がします。

さて、「はちどり」。
こちらは圧倒的に印象的だった作品です。
昨年世界の映画祭で賞を獲りまくり、本国韓国でもオスカー作「パラサイト 半地下の家族」と並ぶヒットとなった作品です。
実を言うと個人的には「パラサイト 半地下の家族」よりも印象が深く刻まれました。

1994年、14歳のおそらくソウルでは中流家庭であろう家族の末っ子であるウニの視点で物語は展開します。

ソウルの多くの子供を持つ両親がそうであるように、ウニの両親も餅屋を夫婦で切り盛りしながら子供の教育費にお金を注ぎ込み、両親は長男をソウル大に合格させようと必死で、長女も大学に通わせ、ウニも漢文教室に通わせています。
けれどもウニは勉強にはあまり興味が持てず、漫画が大好きで授業中は落書き、放課後はボーイフレンドとデート、生徒がたった二人の漢文教室では別の学校に通う親友と筆談での雑談ばかり。普段から彼女が学校でも家庭でも何となく馴染めずに疎外感を感じているために、そうした行為を通じて無意識に現実から離れようとしているせいなのかもしれません。

そんなある日、漢文教室にソウル大の学生ながら、長らく休学しているという新しい講師ヨンジがやってきます。彼女は今までの講師のように強権的な態度ではなく、飄々としながらもウニ達に繊細で複雑な漢文詩を紹介し、少女たちに語りかけるようにクラスを進めていき、次第にウニはヨンジに心を開いていきます。一方では、家族間の不協和音は一向に解決しないどころかエスカレートするばかり、ボーイフレンドとの関係もうまくいかない、とウニの生活は心が乱れることばかり。
そんな中で突然ヨンジが漢文教室を辞めたと聞き、ショックを受けるウニ。さらには姉が通学で使っているソウル中心部を流れる漢江にかかるソンス大橋が突然崩落したとのニュースが飛び込んでくる…

ソンス大橋のくだりは、韓国の映画やドラマあるあるで、よく実際の事故や事件と重ね合わせるという手法が見受けられます。今回の映画において、もちろん映画の設定である1994年の韓国の事情を知っていることで、作品そのものへの理解はより深いものになるという側面はありますが、個人的にはそこはこの作品の魅力の核となっているわけではないので、見る人がそれを知っているべき、というほどではないように思います。
この作品が世界の複数の国の映画祭で受賞しているということが、それを証明しています。ギリシャやドイツ、トルコといった国々の映画祭の審査員が、当時の韓国の実情を深く知っていたからこそ賞を与えた、ということは考えにくいですからね。

本国である韓国では、実際の事件ということで観る人たちによりふくらみのある働きかけができるのかも知れません。日本でも多分映画の中で、日航ジャンボ機墜落とか、オウム真理教とか、東日本大震災といった出来事が折り込まれていたら、私も含めて当時日本で暮らしたり関わっていた人たちの中の、それぞれのなんらかの記憶と思いを想起させるでしょうから。

とはいえ、繰り返しになりますがソンス大橋崩落が現実の事故であったかどうかで、この映画への印象が大きく変わるわけではありません。映画の中だけでの出来事であっても十二分にその痛みと衝撃は伝わってきます。事件そのものはもちろんウニや周囲の人々に大きな影響を与えるけれど、それがこの作品の魅力の中核ではありません。

タイトルの「はちどり」はどの種類もわずか数グラムしかない世界最小の鳥のひとつ。これが長編初監督というキム・ボラ監督は小さくとも懸命に蜜を求めて長く飛び続けるこの鳥が、希望、愛、生命力の象徴とされていることに、主人公ウニを重ね合わせたと映画のチラシに書かれています。

希望、愛、生命力という単語だけを見ると、浮かぶのはポジティブさ。けれどもこの作品においてはポジティブな事柄が次々に起こるというよりは、むしろウニにとっては周囲は生きにくいことばかりのようです。
学校ではクラスメイトからは落ちこぼれと蔑まれ、何となく馴染めなくて友達といえば漢文教室が一緒の他校の生徒。親友とはいえその友人は友人で家庭に問題を抱えていて、ウニを気遣う余裕もなかなかない。ボーイフレンドも何だかフラフラしているし、家族もそれぞれに不和があったり忙しかったりで、ウニに正面から向き合ってくれるとは言い難い状況。
それでも作品はひたすら暗いというのではなく、希望と失望、愛情と憎しみ、関心と無関心といった相反する感情と状況が複雑に絡み合いつつ、透明で瑞々しく、痛々しくてひりひりして、でも美しい。思春期という自分を作っていく人生の中の短く多感すぎる激しい季節が丁寧に詩的に描かれています。
台詞は極力シンプルに、映像もゆっくりとしたカメラワークをとることで作品全体に「間」ができているので、それが観ている側を逆に作品世界へと引き込み、想像力を働かせる作用があるように思います。監督のキム・ボラは今回が長編映画デビューとは思えないほど、引き算の美学をよく理解していて、映像でしか語ることのできない言語を持っていると確信できます。
大人になった多くの人が、戻りたいとも思わないけれど忘れられない多くの想いを抱えている時間を、その時の敏感さを思い出させる繊細だけれども力強い作品。

主人公の立場は弱く、人間関係や社会の中でさまざまな暴力に晒されているけれど、ボロボロになっていくだけではなく、傷つきながらも踏みとどまり、変化し人生を先に進めていく。多くの思春期の少年少女がそうであるように、彼らには未来が存在していることを言葉ではなく映像で指し示してくれる。

※2020年10月27日に加筆修正

作品データ:
「はちどり」
2018年/韓国=アメリカ/138分/PG12
監督:キム・ボラ
出演:パク・ジフ キム・セビョク イ・スンヨン チョン・インギ パク・スヨン キル・へヨン
提供:アニモプロデュース 朝日新聞社
配給:アニモプロデュース
配給協力:ギャガ