自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。

「視覚」→「聴覚」、感覚の変換

進化するテクノロジーは、数十年前、数年前には昔はSFの中だけの世界と思われていた領域に手を伸ばしているようです。

TEDでのスピーチで話題になったアーティストのニール ハービソン氏は、生まれつきの色覚異常で色を識別できない。彼はその問題を解決すべく10年以上前から光の波長を測り、音として変換する装置を開発して、自らの頭蓋骨に埋め込み、色を「見る」から「聴く」ものに変換しているそう。びっくりですよね。

「視覚」から「聴覚」への交換。発想を広げれば、逆の流れ「聴覚」から「視覚」への変換も可能になるだろうし、そのうち「触覚」→「視覚」など五感のうち他の感覚から感覚への変換だとか、ひとつの感覚から複数への感覚の変換が同時にできたりするようになるのかもしれません。

拡張する五感

先日、日経新聞の記事で日本の大学で五感の拡張研究が進められているという、とても興味深い記事を読みました。

山梨大学と慶応義塾大学の教員による共同研究では、色弱の人にAR(拡張現実)メガネを装着してもらい、メガネが色調を整えることで青と緑の区別がつきにくいなどの症状を改善して、信号の色の違いや花と葉の違いを健常者の人と同じように区別できるようにしたり、緑内障によって起こる視野狭窄を補完したりする技術を開発しているそうです。一方、東京大学では味覚の研究で、身体に電極を埋め込んで微弱な電波を送ることで、食材の味を本来そのものよりも濃く感じさせることができることがわかってきているとか。

昔SF小説で、朝起床して無味の栄養バーを口にしたら、好きな味を感じさせて食事をするというシーンを読んだことがあるのですが、それに近い感覚ですよね。

ポジティブに考えれば感覚障害に悩んだり苦しんだりしている人たちの助けになる画期的な技術のように思えるし、エンターテイメントとしても今までには考えられなかった体験型アミューズメントが生まれる可能性があるというのが、私のような素人にも簡単に想像できます。

「本物」ってなに?個性はどこにあるの?

一方でリスクや倫理問題、アイデンティティの問題にも深く関わってくるような怖さも感じます。

アイデンティティについての危惧は、五感による個人の能力差がもしかするとそれで解消されるのなら、それまで拠り所としていた自分の強味が揺らぐことになるかもしれない、ということ。

世の中には嗅覚が人よりも鋭敏なことを生かした調香師という職業があったり、味覚の鋭さでもって料理評論家やシェフがいたり、五感それぞれの鋭さを根拠にしたさまざまな職業があり、職業にしてはいなくてもその人の持ち味としてその人らしさとして認識されている場合が多くあると思います。そして彼らは自身の持つ感覚をさらに磨くことで、自信につなげたり他の人にはない自分の能力だとしてアイデンティティを確立していることも多いでしょう。

もちろん装置をつけている、つけていないという違いはそれぞれが認識しているかもしれないけれど、装置さえあればその差が埋められるということになったら?

本当の肉体としての感覚と、テクノロジーによる拡張された感覚はどんな風に捉えられていくのでしょうか?

今の私の不安は、未知の領域に対する漠然としたものだと思うので、実際にそういう世界が出現しても実はどうってことなかったということになるのかもしれません。

でも今の世の中を見渡してみると、新しい技術によって様相が一変してしまっていることって結構たくさんあると思います。

毎食いわゆるきちんとした食事を取らずにほとんど科学的に合成されたサプリメントよって栄養を補っている人、生産工程でほとんど人の姿が見えずに機械が制御している工場。

農業も今やオランダに代表されるハイテク農業によって、土を触って天候と相談しながらではなく、工業製品のようにコントロールされ、均一化された農作物をつくることができるようになってきています。

感覚という現時点では極めて個人的で繊細な領域と考えられているものが、全てコンピュータやVR、AIなどのテクノロジーで解析され、結果が一般大衆にまで行き渡る世界では、本物や人それぞれの感覚による個性はどんなことになっているのでしょう?

結論は出ない問題だけれど、「考えても仕方がない。」ではなくて、変化そのものや予兆について無自覚でいたくないなと思います。