自宅ごはんを中心に、まあまあ幅広いトピックを扱うくりたです。

覚えきれない料理の数々。持ち寄りの宴

今日はレシピについてのお話はありませんが、大勢での食事ということでカテゴリーを「ある日の食卓」に入れさせていただきました。

本日のメニューは多すぎて書ききれません!以下は抜粋です。

・ローストビーフ
・揚げなすの酢醤油びたし
・焼きナス入りフムス
・タンドリー風チキンの手羽元
・うなぎ入り巻寿司
・オープンサンド
・ゆでとうきび
・柿の葉寿司
・はもちくわ
・ポテトサラダ
・アジの南蛮漬け
・枝豆
・ニラチヂミ
・唐揚げ
・スペイン風オムレツ
そのほか色々

これが何かといいますと、毎年恒例淀川花火大会の集まりです。

友人の大家さんが毎年大阪の淀川のすぐ側にあるマンションの自宅を解放して、風の通る広いベランダで皆でご飯をいただきながら淀川花火大会を観る豪華企画なんです。毎年集まるメンバーと人数は少しずつ変わるものの、20名から多い時で30名ほど、子供から大人までの一大パーティで、私にとっては日本の夏のクライマックスと言っても良いかもしれません。

夜空に力強く、儚く輝く一瞬の一生

寄せてもらうようになってから10数年になりますが、それまで花火大会自体にはそこまで思い入れもなく、花火はきれいだと思うものの、とにかく暑い中で人が満員電車のように道や河原に溢れたある種修行のようなイベントだと思っていました。有料席だとゆったりお弁当などをいただきつつ鑑賞できるそうなのですが、そこまではいいかなという気分だったので、「夏は花火でしょう!」という気持ちとはかなり遠かったのです。

それが変わったのがこの大家さんの花火パーティです。

最初に参加させていただいた時の感激は今も記憶に鮮やか。

マンションの8階なので割と風があり、日中暑くても夜は涼しい風が通る事が多く、夏の夕涼みにぴったりなロケーション。大家さんが用意してくださる食べきれないほどの料理の品々に舌鼓を打ち、それだけでも楽しいものです。それがメインというと、ほぼ真横に巨大な花火が次々と打ち上がる様子は、これまで観たどの花火よりも美しく見えました。

暗い夜空に力強く、けれど儚く消えていく色とりどりの炎。おそらく沢山の職人さんを始めた人々が関わってできている花火。コストもなかなかのものだと想像できますが、それがこのわずか数十秒でパッと華やかな光を放って跡形もなく消え失せる。この一瞬の美しさに懸ける人々の熱情。

世界中に花火は存在していますが、夏の花火はある意味日本人の好む瞬間の美の究極の形なのかもしれません。春の桜があれほど珍重され、人々の心を捉えて離さないのは、日本の桜がちょうど季節が冬の終わりから初夏へと向かう間で、いつ咲くのかもわからず、咲けば一週間もしないうちにさっと散ってなくなってしまうから。短い間の蕾から満開、散り際と花の一生をまさに駆け抜けるような鮮やかさを感じるからでしょう。

花火は人工的なものですが、完成までの長い時間と手間、一瞬の強烈な輝きと美しさ、後には何も残らないという潔さに、桜と共通する日本人の死生観も思わせる哲学が潜んでいるような気がすると、この大家さんのお宅での花火を体験する事で強烈に感じたのです。

そういえば、地方ではお盆の時期に亡くなった人への鎮魂として花火をあげる風習があると聞いた事があります。

そのこともまた、桜と花火と命を繋げる糸のような気がします。

いつも楽しむマインドを

花火について考えを巡らせると他にもたくさん話したいことはありますが、今日はこの辺りでおしまいにして、食事の方にフォーカスしましょう。

毎年は大家さんが大量のご馳走を用意してくださっていたのですが、今年は諸事情あり参加者持ち寄りになりました。

20人参加があれば料理の種類も自然多くなります。料理が得意な人は手作りで、そうでない人はどこかで買ったものでも可ということで、いつもの年とは違う雰囲気になりました。

集まる人たちの顔ぶれを考えながら用意するのは楽しいことです。

私は人にプレゼントを選んだりするのも大好きで、料理を誰かに振る舞うのも大好きです。

皆それぞれ仕事が忙しかったり、家庭があったり、学生時代ほど時間が自由にならないので、そう頻繁に機会はありませんが、たまに友人たちと集まるときは、実のところお店で集まるのも良いけれど、うちに食べに来てもらうことの方が好きかもしれません。ひとりで食べるのだと量的になかなか作れないメニューというのもたくさんありますしね。

食事をするというのは、生きていくために最低限必要な行為のひとつではありますが、それだけに人と分かち合う時間は貴重な気がします。

毎日通常3回は食べるので、日々のことだから何を食べるか考える事が面倒だという人もいます。確かにそういう側面もあるとは思うのですが、生きていくのにどうしても必要で、相当な回数と時間を費やすのであれば、面倒だと考えるよりも楽しいと考えられるようにした方が、人生はずっと楽しい。

食事以外についてもそう。例えば仕事なども普通は週5日程度一日8時間ほど働くわけなので、週40時間をつまらなく過ごすか、楽しく過ごすかは大違いだと思いませんか。

仕事の場合は自分だけでなく、人によって自分以外の要因でそうならざるを得ないこともあると思いますが、少なくとも食事はある程度自分の気持ちの持ちようで少しは楽しくできるかもしれません。

大したことでなくて良いのです。立ち寄った八百屋さんの店先にいろんなナスやトマトが並んでいるのを見て、こんなにも同じ野菜で違う種類が1箇所に揃っていることの驚きとか、それほど期待せずに買ってみた小松菜がすごくおいしく感じたりとか。

食べなければいけない、〇〇しないといけない。自分が能動的でなく、やらされ感を強く感じるとそれだけで楽しく思える気持ちはしぼんでしまうので、どうしたら楽しく感じられるのか自分で考えること。その事がいろんな視点を獲得していくきっかけになるような気がします。

パーティとは少し話がずれてしまいましたが、それぞれの持ち寄った料理で良い時間を過ごしているうちに、ふとそんなことを考えました。